宝塚北サービスエリア [家族のこと Our Family]
宝塚北サービスエリアは新名神高速道路が昨年3月18日に 川西IC - 神戸JCT間開通に伴って供用開始されました。供用開始依頼各メディアに取り上げられて、妻子からもたびたび行きたいと言われてましたが、先日やっと行くことができました。
新御堂筋から千里中央を経由して、更に北上してから箕面有料道路へと進めました。トンネルが長いので娘が怖がってました。トンネルと抜けるとそこは山間の空間です。箕面とどろみICから新名神高速道路へ突入しました。
通行する車も少なくスムーズに走ることができました。川西ICを過ぎて宝塚北SAに到着しました。
【駐車場】
施設群は上下線集約型で、建物を挟んで西と東に上り線と下り線の駐車場が広がってます。
施設や駐車場は西日本最大規模との事です。
【手塚治虫氏のイラスト】
偉大な漫画家手塚治虫氏は宝塚市出身です。
自画像や作品が展示されてました。
【宝塚歌劇で使用されたドレス】
綺麗なドレスですね。
NEXCO西日本によると、利用人数(レジ通過人数)は、約314万人だったそうです。平日は約7,000人、休日は約12,000人で、1日当たり平均9,000人が利用しているとの事です。並行する名神高速道と中国自動車道との“ダブルネットワーク”が完成したことで、渋滞回数が約75%、事故件数は約35%もそれぞれ減少するなど効果が表れています。
ETC専用のICもありますので、宝塚市北部の西谷地区や武田尾温泉へのアクセスも向上しています。
新御堂筋から千里中央を経由して、更に北上してから箕面有料道路へと進めました。トンネルが長いので娘が怖がってました。トンネルと抜けるとそこは山間の空間です。箕面とどろみICから新名神高速道路へ突入しました。
通行する車も少なくスムーズに走ることができました。川西ICを過ぎて宝塚北SAに到着しました。
【駐車場】
施設群は上下線集約型で、建物を挟んで西と東に上り線と下り線の駐車場が広がってます。
施設や駐車場は西日本最大規模との事です。
【手塚治虫氏のイラスト】
偉大な漫画家手塚治虫氏は宝塚市出身です。
自画像や作品が展示されてました。
【宝塚歌劇で使用されたドレス】
綺麗なドレスですね。
NEXCO西日本によると、利用人数(レジ通過人数)は、約314万人だったそうです。平日は約7,000人、休日は約12,000人で、1日当たり平均9,000人が利用しているとの事です。並行する名神高速道と中国自動車道との“ダブルネットワーク”が完成したことで、渋滞回数が約75%、事故件数は約35%もそれぞれ減少するなど効果が表れています。
ETC専用のICもありますので、宝塚市北部の西谷地区や武田尾温泉へのアクセスも向上しています。
特別警戒実施中 [鉄道 Railway]
【JR尼崎駅のゴミ箱】
G20サミット(金融・世界経済に関する首脳会合)が大阪で開催されることになりました。
各所で厳重な警備が行われてますが、主要駅でもゴミ箱やコインロッカーの閉鎖が行われてます。所用で神戸まで行った妻の話では車内でも警察官が巡回していたとのことです。また、帝国ホテル周辺でも厳重な警備が行われていて、時折仕事で通る身には多大な影響がありますね。
いつも使っているゴミ箱が閉鎖されて不便さを感じますが、いろいろと物騒な事件が発生していたら止むを得ないですね。今週末までは我慢です。
先日大阪駅で撮影した画像を。
今更ながら当方のiPhone7は便利なカメラとしても活躍してます。
【225系100番台(左)】
【側面の案内表示器】
大阪駅で撮影しました。
2編成しかないので、なかなか撮影する機会が少ない車両です。
京都駅にて [鉄道 Railway]
佐賀市の中心で【6/16】 [旅行・観光 Travel&Sightseeing]
板付空港の居酒屋SAKURA [空港 Airport]
いつもの居酒屋SAKURA [空港 Airport]
平成最後の家族の帰省 [家族のこと Our Family]
復元された尼崎城天守閣 [旅行・観光 Travel&Sightseeing]
【復元された尼崎城天守閣(左)】
明治始めの廃城令で完全に破却された尼崎城天守閣が約150年ぶりに再建され、今年3月29日から一般に公開されました。
尼崎城は元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築きました。3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられました。西側を流れている庄下川は外堀とされました。
しかし、明治6年(1873年)に発令された廃城令で天守閣などが破却されました。本丸御殿の一部が大物町にある深正院の本堂として移築されました。この本堂は戦前まで残っていましたが、戦災に遭い焼失しました。石垣も取り除かれ、堀も時代が経つにつれ埋め立てられ今では完全に姿を消してしまいました。
旧城郭内には町役場(後の市役所)や各種市立学校などの行政機関が相次いで建てられました。現在の城址公園は県立病院が移設された後に、旧尼崎城の面影を今に伝えるような公園として計画され、平成2年度から平成5年度にかけて、主に公園の北西部分の石垣や漆喰塀、散策路などが整備されました。
歴史博物館が建てられる予定でしたが休止されました。
家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮(あぼ あきら)氏が、創業の地である尼崎市に恩返しがしたいと考え、10億円以上の私財を投じて天守を再建した上で尼崎市に寄贈したいとして、2015年(平成27年)11月25日付で、市有地の利用などについて市と「尼崎城の建築及び寄附に関する協定」を締結しました。大きさや外観は可能な限り当時の建物を再現していますが、天守跡地は既に小学校が建てられていて同じ場所への再建は不可能でした。そのため北西約300メートルずれた地点にある西三の丸跡地にある城址公園内に築かれることになりました。
天守閣は高さ約23メートルの5階建てで鉄筋コンクリート造りです。尼崎まちあるきゾーンの1階はホールや売店があって、ここは無料で入場可能です。2階から上は有料で4階までは展示室、最上階の5階は展望室となっています。