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復元された尼崎城天守閣 [旅行・観光 Travel&Sightseeing]

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【復元された尼崎城天守閣(左)】
明治始めの廃城令で完全に破却された尼崎城天守閣が約150年ぶりに再建され、今年3月29日から一般に公開されました。

尼崎城は元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築きました。3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられました。西側を流れている庄下川は外堀とされました。
しかし、明治6年(1873年)に発令された廃城令で天守閣などが破却されました。本丸御殿の一部が大物町にある深正院の本堂として移築されました。この本堂は戦前まで残っていましたが、戦災に遭い焼失しました。石垣も取り除かれ、堀も時代が経つにつれ埋め立てられ今では完全に姿を消してしまいました。
旧城郭内には町役場(後の市役所)や各種市立学校などの行政機関が相次いで建てられました。現在の城址公園は県立病院が移設された後に、旧尼崎城の面影を今に伝えるような公園として計画され、平成2年度から平成5年度にかけて、主に公園の北西部分の石垣や漆喰塀、散策路などが整備されました。
歴史博物館が建てられる予定でしたが休止されました。
家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮(あぼ あきら)氏が、創業の地である尼崎市に恩返しがしたいと考え、10億円以上の私財を投じて天守を再建した上で尼崎市に寄贈したいとして、2015年(平成27年)11月25日付で、市有地の利用などについて市と「尼崎城の建築及び寄附に関する協定」を締結しました。大きさや外観は可能な限り当時の建物を再現していますが、天守跡地は既に小学校が建てられていて同じ場所への再建は不可能でした。そのため北西約300メートルずれた地点にある西三の丸跡地にある城址公園内に築かれることになりました。
天守閣は高さ約23メートルの5階建てで鉄筋コンクリート造りです。尼崎まちあるきゾーンの1階はホールや売店があって、ここは無料で入場可能です。2階から上は有料で4階までは展示室、最上階の5階は展望室となっています。

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