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北陸三都物語(10)富山城址公園 [旅行・観光 Travel&Sightseeing]

富山駅からは富山城址公園へ向かいました。
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【元からの富山地方鉄道の車両】
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【車内】
こちらもGKグループがデザインを手がけています。

丸の内で下車して富山城址公園へ足を進めました。
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【千歳御門】
千歳御門は越中富山藩の藩主だった前田利保が隠居のために富山城内に造営した千歳御殿の正門として建てられました。その後明治時代に入って富山市米田の豪農に払下げられ、郊外に移築されました。そのため、大火や空襲を免れ残ることができました。
平成になって所有者が富山市に寄贈して、現在の富山城址公園へ移築されました。門は総欅造りで、現在は富山市指定文化財に指定されています。
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【富山市郷土博物館】
テレビなどで富山城天守閣と言われることもありますが、正式名称は富山市郷土博物館です。
先の大戦でアメリカ軍の無差別爆撃により、富山市は灰燼に帰し約十万人が被災しました。そして戦後、復興のために人々の努力が続いていました。
復興事業がほぼ完了し記念に行われたのが昭和29年4月11日から6月4日、富山城址で開催された富山産業大博覧会です。現在富山城天守閣と言われている建造物は博覧会のパビリオンとして建てられました。
この建物の外観は彦根城や犬山城など、全国の現存天守を参考にデザインされた慶長様式で、会期中は「美の殿堂」として美術展などが開かれていました。構造は複合連結式望楼型3重4階(天守)2重2階(小天守)で鉄筋コンクリート構造(延床面積927m2)です。
本来なら史実に基づかない「模擬天守」ですが、建造から今年で70年を迎えていて、「地域の景観の核」との評価により、国の登録有形文化財に登録されました。
文化財行政上は原則として維持管理されなければならない歴史的建造物となっています。史実・旧態とは異なっているものの、模擬天守のある風景が現在の富山市を象徴する景観となっている面もあります。
松本さん、富山市を見習ってはいかがでしょうか?
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【佐藤記念美術館】
現在は富山氏が所有する美術館です。
櫓を模した美術館で、かつては地元財界の有力者であった佐藤家が保有していました。しかし中核となる佐藤興業の経営不振もあって、所有権が富山市へ移管されて現在に至ります。
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【富山地方鉄道バス】
富山駅まではバスで戻りました。
もう少し時間があれば各所へ行けたのですが、金沢へ行く関係もあって、駆け足での移動になりました。
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