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東山慈照寺にて [旅行・観光 Travel&Sightseeing]

先月ですが久々に京都東山にある慈照寺へ行ってきました。
慈照寺と聞いて一体どこの寺院かと思われる方が多いでしょうが、銀閣寺の正式名称です。
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【入口】
京都駅から市バスに乗って向かいました。日曜日とあって車内は大変混雑していました。
銀閣寺前で下車して慈照寺へ向かいました。入場料を払ってから銀閣寺垣と言われる垣根を通って境内へ向かいました。
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【向月台】
入ってすぐに目に入る砂盛りです。江戸時代中期頃に作られたとされます。
台形の砂盛りは不思議な感じがしますね。

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【観音殿(銀閣)】
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【屋根上の鳳凰】
1489年(長享3年)に上棟された木造2階建ての楼閣建築です。
鹿苑寺舎利殿(金閣)が文字通り金箔を張った建物であるのに対して、銀閣には建立当初より銀箔は張られておらず、張られていた痕跡もありません。上層は当初は内外とも黒漆塗でした。
なお、向月台や銀沙灘と言われる幾何学的な模様をした砂州が確認できます。
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【東求堂】
足利義政の持仏堂として建立されたものですが、様式的には住宅建築の要素が強いとのことです。
一重入母屋造、檜皮葺きで、1486年(文明18年)の建立で東山殿時代の遺構です。
慈照寺は元々室町幕府8代将軍だった義政の山荘として造営されました。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられました。義政の死後、菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されました。
6代将軍だった義教の子だった義政は兄の義勝の死後将軍になったものの、側近政治に嫌気をさして幕政を正室の日野富子や有力守護大名に委ね、自らは邸宅や日本庭園の造営などや猿楽、酒宴に溺れていきました。このような姿勢の積み重ねが京都の町を焼野が原にしただけでなく全国的な戦乱状態に陥れた応仁の乱へと繋がっていったのでしょうね。

境内東側にある月待山へ行きました。
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【お茶の井】
漱蘚亭跡の横にあります。お茶好きの義政も利用していたのでしょうね。
室町時代の面影を残すとされています。
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【月待山から見た東山慈照寺】
この場所からは銀閣や東求堂、そして京都市街を見ることが出来ます。
紅葉も始まっていますね。
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【別アングルから銀閣を】
政治に嫌気をさして自らは東山文化を築いた義政はこの場所で何を思ったのでしょうね。
なお正室の日野富子は政治に口を出したり税を徴収したりして「守銭奴」とも言われましたが、東山山荘の造園には一切援助してないとのことです。

帰宅の際に撮影しました。
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【京都四條南座】
ご存知映画会社松竹が経営している劇場です。国の登録有形文化財です。
毎年11月末日から12月末まで行われる吉例顔見世興行は年末の京都の風物詩となっています。
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【鴨川】
四条大橋を渡ると京都河原町の繁華街です。
多くの人で賑わっていました。
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【阪急9300系】
夕食を済ませてから阪急で梅田まで向かいました。
A-Trainの乗り心地は良かったです(o^-')b

久々に行きましたが、国内外から来た多くの観光客で賑わっていました。
初秋の京都もいいですね。
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あるまーき

自分は、金閣より銀閣の方が好きです。
秋の京都、カメラを持って行ってみたいと思いました。
by あるまーき (2014-10-28 13:11) 

UZ

あるまーきさん
京都は春と秋が観光のベストシーズンです。夏は盆地のため蒸し暑く、冬は本当に寒いですから。色々散策していると面白いです。
ちなみに私は権勢を誇示したかのような金閣も幽玄的な東山文化の象徴でもある銀閣のどちらも好きです。
by UZ (2014-10-29 23:56) 

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